浅野先生の勇退に寄せて ~春風ヒューマのかあちんより~
【 感謝】
「こんばんわ!」
いつもと変わらない様子で
浅野先生から連絡をいただきました。
そこには〝勇退〟の文字が書かれていて…。
勝手なもので、定年まではまだ先だと思っていた私は
〝勇退〟という言葉にフリーズしてしまいました。
「知り合ってから今まで、公私に置いて
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです」
大変お世話になり、
感謝の気持ちをお伝えしなければならないのは
私の方なのに。
ん?
今までにこんな丁寧な、
畏まった言葉を交わした事があっただろうか?
約25年の長きお付き合いの始まりを
振り返ってみます。
1996年12月21日
ヒューマくんが出走した中山競馬場。
中山8R (デビュー15戦目 7枠11番)
ゴールを先頭で駆け抜けてきた
ヒューマくんの姿を目の当たりにした私は、
(きっと)誰よりもテンション爆上がりのまま
ゴール板前からウイナーズサークルへ猛ダッシュ!
その勢いのまま、口取に現れた浅野先生に
「先生!おめでとうございます!」
と声をかけさせていただきました。
「あなたは、いつものあなた?」
「?」
「そこを動かないで」
私のテンションとは大差を感じるトーンでの
「そこを動かないで」に、
一瞬で冷静モードに切り替わり…
「うるさかったのかな?…怒られるのかな…」
シュンとしながら気もそぞろに
ヒューマくんの勇姿を写真におさめ、
指令どおり一歩も動かずにいる私の所へ、
鞍上の安田富男騎手のサインが入った
ヒューマくんの汗が染み込んだ
ゼッケンを持って来て下さいました。
想像もしなかった展開に、呆然とした出会い…。
あまりのインパクトの強さに、
今改めて振り返ってみても
ハッキリと思い出すことができました
「いつものあなた」
これは、怖いもの知らずと言いますか、
ヒューマくんの事となると
“カセ”が外れてしまうのか、
今では思いとどまってしまうような
行動をしていた私…。
お恥ずかしい
デビュー7戦目での初勝利。
(1996年5月25日 東京1R)
あまりの嬉しさに、
ヒューマくんの写真をプリントした
マグカップを初勝利記念に自主制作し、
何を思ったか浅野先生に送るという暴挙に
今、冷静に考えると“ヤバイ馬ファン”です(汗)
奥様からご丁寧なお手紙と、
面会のありがたいお話もいただきました。
トレセンへ、ヒューマくんに会いに行きたい
気持ちは満々なのに、こんな時は勇気がなく、
先生との初対面が2勝目になる
中山競馬場での出来事でした。
あの〝暴挙〟が、
ヒューマくんの穏やかで幸せな
渡辺牧場での日々へと繋がっているのならば、
〝快挙〟になったということで
まとめたいと思います(笑)
全ては、ヒューマくんが紡いでくれたご縁。
浅野先生、奥様、春風ヒューマの会 Oさんもその1人です。
黒い馬体のグリーングラスに魅入られたOさん。
父親の見ていたTV競馬中継を
何気なく覗いた私の目を奪った
芦毛のオグリキャップ。
小さな繋がりが思いもよらぬところで重なり、今がある。
何気ない、たくさんの偶然が重なり、
奇跡に繋がる。
本当に不思議です。
一見、コワモテに見える浅野先生ですが、
にっこり笑った素顔のギャップ差がすごい!
そして仕事を離れたら、
何事にも興味津々で行動力が半端ない
そんな浅野先生だから、
ヒューマくんの競走馬引退に関しても、
知識も財力も持ち合わせていないファンでも、
ヒューマくんへの並々ならぬ愛情があることを
理解して下さり、少ない負担で
ヒューマくんの命を繋げる道を
探し続けて下さいました。
成田にある牧場での練習馬としての居場所、
そして輝かしい警視庁騎馬隊への入隊、
ヒューマくん自身は
どう思っているのかわかりませんが、
夢のような引退後の歩みではないでしょうか。
1993年に調教師のキャリアをスタートされた
浅野洋一郎先生が、今年9月20日をもって
勇退されます。
感謝の言葉が簡単には思い浮かびません。
たくさんの思い出、
ヒューマくんの今を導いて下さったこと
本当にありがとうございました。
これからは健康第一で、
飽くなき興味の世界を楽しんで下さい。
時には追いつける範疇でお供させて下さい。
ヒューマくんの分も、感謝を込めて…。

浅野調教師と2勝目をあげた春風ヒューマ~誇らしげな写真~
■引退馬ネット内
春風ヒューマの会 ~トウショウヒューマ応援団~
https://rha.or.jp/contact-members/inq05_5.html
※引退馬ネットの「春風ヒューマの会」≪入会フォーム≫ にリンクしています。
最新の入会フォームに変わりました
いつもと変わらない様子で
浅野先生から連絡をいただきました。
そこには〝勇退〟の文字が書かれていて…。
勝手なもので、定年まではまだ先だと思っていた私は
〝勇退〟という言葉にフリーズしてしまいました。
「知り合ってから今まで、公私に置いて
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです」
大変お世話になり、
感謝の気持ちをお伝えしなければならないのは
私の方なのに。
ん?
今までにこんな丁寧な、
畏まった言葉を交わした事があっただろうか?
約25年の長きお付き合いの始まりを
振り返ってみます。
1996年12月21日
ヒューマくんが出走した中山競馬場。
中山8R (デビュー15戦目 7枠11番)
ゴールを先頭で駆け抜けてきた
ヒューマくんの姿を目の当たりにした私は、
(きっと)誰よりもテンション爆上がりのまま
ゴール板前からウイナーズサークルへ猛ダッシュ!
その勢いのまま、口取に現れた浅野先生に
「先生!おめでとうございます!」
と声をかけさせていただきました。
「あなたは、いつものあなた?」
「?」
「そこを動かないで」
私のテンションとは大差を感じるトーンでの
「そこを動かないで」に、
一瞬で冷静モードに切り替わり…
「うるさかったのかな?…怒られるのかな…」
シュンとしながら気もそぞろに
ヒューマくんの勇姿を写真におさめ、
指令どおり一歩も動かずにいる私の所へ、
鞍上の安田富男騎手のサインが入った
ヒューマくんの汗が染み込んだ
ゼッケンを持って来て下さいました。
想像もしなかった展開に、呆然とした出会い…。
あまりのインパクトの強さに、
今改めて振り返ってみても
ハッキリと思い出すことができました
「いつものあなた」
これは、怖いもの知らずと言いますか、
ヒューマくんの事となると
“カセ”が外れてしまうのか、
今では思いとどまってしまうような
行動をしていた私…。
お恥ずかしい

デビュー7戦目での初勝利。
(1996年5月25日 東京1R)
あまりの嬉しさに、
ヒューマくんの写真をプリントした
マグカップを初勝利記念に自主制作し、
何を思ったか浅野先生に送るという暴挙に
今、冷静に考えると“ヤバイ馬ファン”です(汗)
奥様からご丁寧なお手紙と、
面会のありがたいお話もいただきました。
トレセンへ、ヒューマくんに会いに行きたい
気持ちは満々なのに、こんな時は勇気がなく、
先生との初対面が2勝目になる
中山競馬場での出来事でした。
あの〝暴挙〟が、
ヒューマくんの穏やかで幸せな
渡辺牧場での日々へと繋がっているのならば、
〝快挙〟になったということで
まとめたいと思います(笑)
全ては、ヒューマくんが紡いでくれたご縁。
浅野先生、奥様、春風ヒューマの会 Oさんもその1人です。
黒い馬体のグリーングラスに魅入られたOさん。
父親の見ていたTV競馬中継を
何気なく覗いた私の目を奪った
芦毛のオグリキャップ。
小さな繋がりが思いもよらぬところで重なり、今がある。
何気ない、たくさんの偶然が重なり、
奇跡に繋がる。
本当に不思議です。
一見、コワモテに見える浅野先生ですが、
にっこり笑った素顔のギャップ差がすごい!
そして仕事を離れたら、
何事にも興味津々で行動力が半端ない
そんな浅野先生だから、
ヒューマくんの競走馬引退に関しても、
知識も財力も持ち合わせていないファンでも、
ヒューマくんへの並々ならぬ愛情があることを
理解して下さり、少ない負担で
ヒューマくんの命を繋げる道を
探し続けて下さいました。
成田にある牧場での練習馬としての居場所、
そして輝かしい警視庁騎馬隊への入隊、
ヒューマくん自身は
どう思っているのかわかりませんが、
夢のような引退後の歩みではないでしょうか。
1993年に調教師のキャリアをスタートされた
浅野洋一郎先生が、今年9月20日をもって
勇退されます。
感謝の言葉が簡単には思い浮かびません。
たくさんの思い出、
ヒューマくんの今を導いて下さったこと
本当にありがとうございました。
これからは健康第一で、
飽くなき興味の世界を楽しんで下さい。
時には追いつける範疇でお供させて下さい。
ヒューマくんの分も、感謝を込めて…。

浅野調教師と2勝目をあげた春風ヒューマ~誇らしげな写真~
■引退馬ネット内
春風ヒューマの会 ~トウショウヒューマ応援団~
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